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光明(こうみょう)杢とは?屋久杉の基礎情報
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巨樹が銘木一枚板に生まれ変わるまで_青島上之山神社の大ケヤキ
- 2019年11月14日
第62回全国銘木展示大会(岐阜大会)にて農林水産大臣賞を受賞した大ケヤキ
この大ケヤキが、どのように育ってきたのか?
木が好きなファンとして、銘木を取り扱う者として正しく記録を残すべきだと思い、一つの資料にまとめることに致しました。
雪深い土地で600年以上育ち続けてきた、こちらの大ケヤキ。
ご覧頂く皆様にも、巨樹・銘木が持つ美しさや感動をお伝えできれば幸いです。
出生地・新潟県魚沼市青島からスタートです。
◆出生地◆ 新潟県魚沼市青島2550 上之山神社(諏訪神社)、教育神社境内内
◆名 称◆ 青島上之山神社の大欅(あおしまうえのやまじんじゃのおおけやき)
青島上之山神社の鳥居 田中角栄氏 筆◆樹 高◆ 40m
◆幹回り◆ 7.1m
◆形 状◆ 地上4mの高さの位置で二本に分かれ、表皮には瘤(コブ)が多く付いている
◆樹 齢◆ 600年以上(推定)
◆指 定◆ 魚沼市指定天然記念物(1992年4月1日 指定)
鳥居の奥 左の二股に分かれているのが大ケヤキ◆神社の創立◆
創立年歴は久遠にして不詳。1594年の洪水により近くの山中へ神社を遷した記録があるため、室町時代末期ごろと推察される。
◆伝 記◆
戦国時代、新田義貞が500人の大軍を率いて露営した際、この大ケヤキに馬を繋いだと伝承されている。
◆伐採の経緯◆
樹勢の衰えとともに倒木の危険性が高まったため、魚沼市の許可を得て神社が依頼し、石上銘木社が2018年5月22日〜6月16日まで、時間をかけて伐採。
2018年11月19日に文化財の指定も解除された。
徐々に樹勢を失う様子 全体が大きく傾いている様子 玉杢や瘤が樹皮に発露 玉杢や瘤が樹皮に発露 玉杢や瘤が樹皮に発露 樹皮表面の瘤 樹皮表面の玉杢の様子 樹皮表面の瘤の様子 玉杢特有の樹皮表面幹回り7.1m、根の直径4.1m、樹高40mの巨樹巨木の大欅で、しかも玉杢や瘤が樹皮表面に多く発露しているため、貴重な銘木であることは、想像に難しくない。
2018年ごろから道路側に大きく傾き始め、枝が下の道路に落ちて車を破損するなどの事故が発生。
道路側が崖になっており、そちらへ大きく根を張ることが出来ず、巨体を支えるバランスを失い、傾いてしまったのだろうと推察されています。
地主様と宮司様の議論の末、宮司様の『神社へ参拝に来られるお客様や人様にご迷惑があってはならない』という決意が固まり、文化財指定を受けている魚沼市に許可を得て伐採をすることに。
地元で巨樹巨木の伐採に経験のある、石上銘木様に伐採を一任。
2018年4月30日
境内の大ケヤキ及び杉の伐採を始める前に、神社への奉告祭を開始。
神社への伐採の奉告祭2018年5月22日
石上銘木様にて伐採開始。
巨樹の大きさと作業の難易度の高さから、6月16日まで約26日間かけて全ての伐採が終了。
枝下ろしの様子
胴切りの様子
牽引・搬出の様子
その後、5tトラックのトレーラーで青島上之山神社から岐阜銘木協同組合へ輸送。
市場へ出品するため、製材所にて製材。
2019年11月14日
乾燥の期間を経て、第62回全国銘木展示大会 岐阜大会に出品。
農林水産大臣賞を受賞。
当時の寸法:長さ286 X 幅110~210 X 厚み33 (cm)
杢目、姿、大きさに感動し、即断で購入決定。
新宿のショールームを予定中だったこともあり、暫く保管して頂く。
2021年2月18日
愛知県弥富市楠に所在する、ヤトミ製材様にて3枚に製材して頂く。
※製材については、後日改めて詳しくまとめた記事を作成予定です。
その後、新宿の弊社ショールームに搬入及び展示。
1枚目 2枚目 3枚目2021年4月27日
青島上之山神社へ慰霊訪問に伺う。
偶然近くで仕事があったため、供養の意味も込めて神社(大ケヤキ跡)を訪問させて頂きました。
たまたま宮司様もいらっしゃり、大ケヤキの立っていた頃のお話を伺い、製材時に取れた木粉(木の一部)を切り株跡に戻し、鎮魂と慰霊、感謝の気持ちを伝えさせて頂く。
宮司様にお話を伺う 直径4.1mの切り株跡 木粉 木粉を撒く様子2020年6月に、こちらの大ケヤキと出会い、『どこで育ち、どういった経緯で伐採に至り、今に至るのか?』とても気になっておりました。
今回、実際に立っていた場所までたどり着けたのは、ひとえに銘木協同組合の皆様や宮司様など多くの方々のお陰であります。
数珠つなぎのようにして、元の位置までお話を辿り、大変感謝しております。
また、重心の難しい巨樹を正確に丁寧に、3枚に製材して頂いたヤトミ製材様のお仕事には心より感動致しました。
このご縁も全て、こちらの大ケヤキが繋いで下さったものだと思います。
これからも木を愛する者として、銘木を集めつつ、大切に取り扱うという心を忘れず精進して参ります。
3枚になった大ケヤキの詳細については、こちらのページでご覧頂けます。
是非、ご覧頂ければ幸いです。
また新情報などが入り次第、都度アップデートして参ります。
屋久杉の一枚板や壺などの商品に入る杢の一つが、“光明(こうみょう)杢”です。
この記事では、光明杢とはどういった種類の杢なのか、どういう過程で入ることが多いのかご紹介していきます。
1.光明杢とは
2.どういった入り方をするのか
3.製材後、残るのは稀少?
4.光明杢が入る過程の考察
1.光明杢とは
光明杢は下写真のように、下から上へと縦に光の筋のように伸びる杢のことを指します。
写真中央)周りよりも濃く見える部分火炎のようにゆらゆらと屈曲を繰り返しながら縦に伸びているのが光明杢の特徴です。
周りの部分よりも濃く見えるのは樹脂(油分)が多いためで、香りも濃厚です。
光の当たる角度によって反射角が変わり、光が分散することでキラキラと輝いているように見えます。
2.どういった入り方をするのか
木の木目が伸びている方向と平行して入るため、ほぼ100%縦に真っ直ぐ伸びています。
長さは様々で、3m50cmの一枚板の中全てに光明杢が一本伸びているものもありますが、短くても美しい輝きを放っています。
幅も様々あり、1cmのものから10cm以上のものまで多岐にわたっています。
同じく屋久杉で見られる輝くタイプの杢、虎杢とはどう違うのか?
虎杢)木目に対し、垂直に杢が伸びる 光明杢)木目と平行に杢が伸びるどちらも輝くタイプの杢という点では同じですが、虎杢は等間隔で光の屈折があり、杢の波が極めて一律です。
一方、光明杢は光の屈折する位置や長さや幅が不均一という点で異なります。
また、杢が木目に対し垂直に伸びるか?平行に伸びるか?という点においても大きな違いがあります。
3.製材後、残るのは稀少?
屋久杉の杢のなかでも、光明杢は特に稀有な存在として重宝されています。
その理由の一つが、管理の難しさにあります。
製材直後、光明杢は大変綺麗に板表面に出ています。
しかし、乾燥中に多くの光明杢が消えてしまう現象が発生します。
“沈む”と表現した方が適切かもしれませんが、杢が木の中にスーッと沈み込んでしまい、いざ製作する際には残っていないということが多いのです。
4.光明杢が入る過程の考察
恐らく、乾燥の影響が強いのかと思われます。
光明杢は前述したとおり樹脂(油分)量が多いことが分かっています。つまりそれは、何らかの影響でダメージ等を負い、その傷を修復するため自然治癒の過程で樹脂を豊富に出したということです。
その自然治癒の結晶が、光明杢というかたちで私たちに美しい表情を見せてくれているのでしょう。
光明杢と入り皮跡 光明杢と入り皮跡(無塗装)上の写真はいずれも、光明杢と入り皮跡の付近を撮影したものです。
入り皮は、ヒトで言うところの“かさぶた”のようなものです。木もヒトと等しく傷を負うと、内部に皮を作って保護膜を張ろうとします。
その過程において樹脂を豊富に出して傷を直そうとし、その副産物として光明杢という結晶が出来上がったのではないかと思われます。
何気なく眺める屋久杉の一枚板や壺や香炉などの工芸品。
其々の表情の中には、こういった厳しい自然環境を生き抜こうとした証が刻まれているように思います。
屋久杉においては伐採も競りも禁止されている現在、より一層これらの銘木を正しく理解し、尊重し、大切に遺していけるよう努めて参ります。
*今回使用している写真は全て、弊社が保管している屋久杉の生木から抜粋しております。
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